コロコロコミック500号記念企画!! 歴代編集長リレーインタビュー第3回【1987〜1991】創刊メンバー・3代目編集長/平山隆


 
コロコロコミックは、2019年11月15日発売号で創刊500号を達成!! それを記念して、現10代目編集長までのリレーインタビューで約40年にわたるコロコロの歴史を振り返るぞ!
 
第3回はコロコロコミック創刊メンバーであり、3代目編集長を務めた平山隆さんだ!! 『ドラえもん』にはじまり、『ウルトラマン』『ゲームセンターあらし』『つるピカハゲ丸』『おぼっちゃまくん』、「ミニ四駆」や「ビックリマン」など、当時の小学生を熱狂させた漫画やホビーの超貴重なエピソードが盛りだくさんだ!! 「コロコロ500号記念大年表」と一緒に楽しんでくれよな!!!!
 

平山隆(ひらやま・たかし)
1949年、東京都出身。77年に、初代編集長・千葉和治さんと二人でコロコロコミックを創刊した。以後、『ゲームセンターあらし』『つるピカハゲ丸』『おぼっちゃまくん』など、大ヒット作をはじめとする数々の作品の連載立ち上げに携わる。87年7月から91年7月まで、同3代目編集長を務めた。

 

コロコロは「『ドラえもん』総集編」として生まれた

――創刊メンバーである平山さんには、コロコロコミック創刊時のエピソードから伺えればと思います。まずは、コロコロ創刊のきっかけを教えてください!
 
コロコロコミックを語る上で欠かせないのが、漫画『ドラえもん』(藤子・F・不二雄先生)の存在です。当時、『ドラえもん』は『小学一年生』から『小学六年生』まで、それぞれの学年に合わせた内容で連載していましたが、人気が出るにつれて、「他の学年のものなど、もっとたくさん『ドラえもん』を読みたい!」という読者の声が出てきました。そこで、学年誌に掲載したものの総集編として、季刊(=年に4回)発行することになったのが、コロコロコミックです。
 
そのため、コロコロコミック第1号は、なんと200ページが『ドラえもん』関連のページだったんです。藤子先生関連以外では、野球情報漫画と『いなかっぺ大将』(川崎のぼる先生)の傑作選のみという布陣でした。
 

▲インタビューはコロコロ編集部の隣にある通称「コロ部屋」で行われた。コロ部屋には過去のコロコロコミックがすべて保管されているのだ!!

——200ページ!! 平山さんは、どうしてコロコロの立ち上げに携わることになったのでしょうか。
 
当時、千葉さん(=千葉和治さん/初代編集長)は『小学三年生』の副編集長、僕は『小学二年生』の編集部員でした。普段、一緒に仕事をすることはありませんでしたが、同じ学年誌で隣の編集部同士、垣根なくワイワイと交流していたこともあって、ある時に、千葉さんがお酒の席で言ったんです。
 
「平山くん、いつか一緒に仕事をしたいな。何かの機会に僕が誘った時は、絶対に断らないでくれ。誓ってくれるか?」
 
尊敬している先輩にそんな風に言ってもらえるのは名誉なことですから、「もちろんです」と答えました。千葉さんの仕事ぶりを隣の編集部から見ていて、尊敬できる先輩だと思っていたのも大きいかな。それからしばらくして、千葉さんがコロコロコミックを立ち上げることになり、編集部員に僕を指名してくれた。そこで、約束を果たす形となりました。
 
——男の約束ですね。創刊時、編集部は平山さんと千葉さんの二人だけだったんですか?
 
そうです。千葉さんとは帰り道が同じ方向だったこともあり、場所を選ばずに、どこでも編集会議をしているような状態でした。二人だけだったので、仕事のやりとりが非常にスムーズでしたね。少しして、総務的な事務仕事を担当する女性が来てくれて、男二人でぐちゃぐちゃだった編集部があっという間にきれいになりました(笑)。その女性というのが、のちに編集部員や新人漫画家から「コロコロの母」と慕われる存在になった笹生(※ささお)さんです。
 
笹生さんと一緒に、3人で居酒屋に繰り出してお酒を飲んでは、漫画のことにはじまり、いろいろなことを話しましたね。まるで、学校のクラブ活動をしているような感覚でした。編集部に行くのが楽しいと言うとオーバーですけど、「あ、今日は、この打ち合わせとあの打ち合わせがあるぞ」なんて、割とウキウキしていた記憶があります。
 
もちろん、嫌なことや腹が立つことも、たくさんあったとは思うんです。でも、今、こうして振り返ると、いい思い出が多いですね。
 

▲コロコロコミック誕生の瞬間。右が千葉初代編集長、左が平山さんだ(『コロコロ創刊伝説』1巻より) 

次のページへ!!(1/5)