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  • スクープ > コロコロコミック500号記念企画!! コロコロコミック歴代編集長インタビュー 第5回【1994〜1999】5代目編集長/三浦卓嗣
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伝説の「“ミュウ”プレゼント企画」

——ブームを起こすことで、何か雑誌に変化が起きましたか?
 
雑誌が、分厚くなりました(笑)。ブームに乗って、相乗効果で新たなブームを起こす編集者の活動のおかげで、コロコロの手法を信頼してくれる企業が多くなってきました。自ずと漫画誌には珍しく広告出稿量が増え、97年末には800ページの分厚い雑誌となりました。コロコロコミックというネーミングの由来は、「分厚くなって、サイコロになあれ」の願いがこもっていると聞いています。
 
ですからこの時、創刊時の願いに少し近づいたと言えます。でも同時に、「部数が多すぎて紙代が広告費に見合わない、もう広告を募れない」という広告局の嘆きも当時聞かされました。
 
ありがたいことです。これもまた部数の伸びと編集者の意識改革の相乗効果と言えるでしょう。
 

 
——ホビー、ゲームを編集部員も遊んでいましたか?
 
遊んでいたか? という設問はちょっとナンセンスかもしれません。だってこれ、仕事ですから。
 
編集部員の机の周りは、漫画の本とミニ四駆、ヨーヨー、カードゲーム、ゲームソフトにキャラクターのぬいぐるみ。そこに吸い殻が山盛りの灰皿がなかったら持ち主が大人だとは思えない。今の編集部は違うのかしら?
 
——確かに雑然とはしていますけど…。
 
ゲーム機とモニターもたくさん並んでいました。そこで延々とゲームの攻略と研究に打ち込んでいる部員がいて、きっと近々大企画が誌面に登場かと思ってのぞき込んだら、どうやら三国志の武将を一所懸命育てているらしい。たぶん三国志は囲み紹介くらいしかやらないんだけれど…。
 
そういえばミニ四駆の大会に自分で調整したマシンを持参して参加していた編集部員やライターさんがいましたね。もちろん勝てっこない。「でもね編集長、僕らが勝ったらマズイでしょう。ワザと手を抜いてですね…」なんて言い分けしていましたが、前の晩校了後に、眠い目をこすりつつ使い放題の最新の改造部品をたくさん取り付けていたのを覚えています。勝ってしまってもOKでしたけどね。
 
——さすがに編集長は遊ばなかった?
 
自分はと言えば、もうよく覚えていないのだけれど、当時ある新聞にこんなコメントを寄せています。
 
「編集部はいつもにぎやかだ。新しいおもちゃで遊んではネタを見つける。僕は管理職。いい加減にしろ、という立場と言いつつ本人もヨーヨーに挑戦。自宅で電球を割って禁止されてからは、編集部で振り回している」(※『東京新聞』夕刊/1998年2月13日より)
 
こんな風に書くとお気楽な印象だけれど、こうして仕事を遊んだ後、普通の編集者がするべき仕事はしっかりするわけで、しかも部数が増えるにつれて印刷工程に時間がかかるので、情報誌なのに締め切りはタイトになる一方。
 
明け方、力尽きて机の下で寝ている奴がいる。「死体と区別がつかないから、机の下で寝るのはやめてくれ」と言うと、「でも、机の上は物がいっぱいで眠れない」 …なるほど。しかし机の下とか上とかの問題ではないのだけれど。
 
働き方改革などという言葉が、みじんもなかった時代の話ですけどね。
 

▲三浦さんが取材された記事を持参。この丁寧さが編集長に必要な器の一つなのだ!

——コロコロ躍進の原動力になったポケモンブームについて教えて下さい。
 
学年誌時代からお世話になっていた任天堂広報の方が、当時の雑誌の取材にこう答えています。「いろんな雑誌に話を持って行きましたが、『コロコロコミック』には早くから取り上げていただきました。」「ターゲットは『コロコロ』にピッタリではないだろうか」(※『創』1997年8月号より)
 
そのころプレイステーション、セガサターンなど派手なグラフィックと臨場感がもてはやされた時代でした。ゲームボーイの小さなモノクロ画面、一見するとポケモンはたいへん地味。でも、“子どもたちがそれぞれポケットの中に、自分だけの小さなモンスターを飼っている”そんなイメージがわいてきて、モンスターが子どもの個性を象徴しているようでまさに『コロコロ』の子どもたちにピッタリなのではないか、と思いました。
 

▲ポケモン限定版こと青版の告知が載った号だ!

——ゲーム発売前から企画をやっていたと…。
 
ヒットするかどうかは分かりませんでしたが、ゲーム発売前から紹介記事を掲載し始めました。子どもたちはゲームを触ったことがないはずなのに、なかなかの反応でした。
 
次に漫画を起こしました。穴久保幸作先生の『ポケットモンスター』です。96年別コロ4月号、ちょうどゲームが発売される頃です。中心キャラはピカチュウではなくピッピでした。ポケモンの素晴らしいところは、150匹いるキャラクターのそれぞれが、それぞれの物語を持っていて誰もがヒーローになり得るところ。特定の主人公を際立たせるためにその他の登場人物が奉仕するのではなく、多様な個性たちがそれぞれ主張をしながら物語を動かす。ポケモンというゲームが持つ豊穣な世界観は、漫画の素材としてたいへん魅力的でした。
 
ヒットを確信したのは、別コロ6月号の引き出し企画151キャラ全図鑑。幻のポケモン「ミュウ」も網羅されていて、ダントツのアンケート票を集めました。記憶されているコロコロOBの方も多いかもしれません。
 

▲日本中の小学生が夢中になって読みこんだ完全大図鑑だ!!

——ミュウのプレゼント企画やポケモン青版も大反響でしたね。
 
そして96年初夏、すでに子どもたちの間で半ば伝説のキャラクターとして噂されていた、151匹目の幻のポケモン「ミュウ」のプレゼント企画が実施されました。当選者のソフトに「ミュウ」というキャラクターを入れて返送するという企画で、この時も、オペレーションの点で大丈夫なのかと、何度も確認した記憶があります。20名の募集に対して応募数が最終的に16万人。驚異的な数字でした。関係者一同、ポケモンの人気ぶりを改めて確認しました。
 
さらに96年秋には、ポケモン青版の応募者全員誌上直販を行いました。これは学年誌との合同企画で注文はのべ60万人。青版の販売は200万部につながる97年7月号でも行われました。この時の本誌売り上げ率はなんと98%超え、ほぼ完売でした。
 

▲ミュウは反響の大きさから、10万人プレゼント企画が後日行われた!!(※キャンペーンは終了してるから、電話しないでネ! 当時応募してくれたみんなは元気かな!?)

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