かつて描いたオマージュ作品『プロレスマン』『ケツ肛門』!? 『ウソツキ!ゴクオーくん』吉もと誠×『コロッケ!』樫本学ヴ SP対談~3~


現在、小学館が主催する新人漫画家の登竜門、第84回「新人コミック大賞」が開催中。3月15日(金)まで作品を募集しているぞ!
 
コロコロオンラインでは、新人まんが家応援企画として、『ウソツキ!ゴクオーくん』の吉もと誠先生(第58回児童部門佳作入賞)と、『コロッケ!』の樫本学ヴ先生(第12回[※]児童部門佳作入賞)のスペシャル対談を全4回で実施!!
(※:当時の賞名は「藤子不二雄賞」)
 
新コミ受賞者の先輩と後輩に当たるおふたりの新人時代の思い出話や、コロコロでまんがを描くうえで大切なことなど、貴重な内容満載でお届けする!!
 
新人漫画家に必要な気質や互いのヒット作が生まれるまでの秘話が語られた第2回に続き、第3回では新人時代に行っていたモチベーションを保つ方法などが明らかに!

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――新人時代の思い出について教えてください。
樫本:僕の時代は今ほどまんが家さんが多くなくて。お互いの作品を手伝い合う感じでした。
 
吉もと:例えば先輩から「手伝って」と言われたら「はい行きます!」という感じですか?
 
樫本:そうそう。徳田ザウルス先生(代表作『ダッシュ!四駆郎』など)には、青木たかお先生(代表作『爆転シュート ベイブレード』など)とよく呼ばれてましたね。あと、苦しいときに手伝っているから、そのお返しも。


▲樫本先生がアシスタントを務めた徳田ザウルス先生の代表作『ダッシュ!四駆郎』。

 
吉もと:そう考えると、今はパソコン作業なので、そういう風潮はなくなりましたね。
 
樫本:全部自分でしないといけなくなったから、僕はパソコンにしたほうが自分の仕事が増えたよ。本当にめっちゃ増えた。
 
吉もと:もうコロコロ作家陣でアナログなのは、沢田ユキオ先生と穴久保幸作先生(代表作『ポケットモンスター』など)と僕だけらしくて。いつか僕もデジタルでトーン貼りくらいはしたいですけどね。
 
樫本:手伝い合ったくらいしか思い出がないな~。新人時代は。
 
吉もと:ただのイメージですけど、チーム力――というか結束力がありそうですよね。
 
樫本:そうですね。人数が少なかったこともあってね。
 
吉もと:樫本先生は仲良しのまんが家さんが多くいらっしゃるイメージがあります。最近だとおおばあつし先生(代表作『イナズマイレブン アレスの天秤』など)とか。おおば先生はアシスタントだったんですか?
 
樫本:いえいえ、最初から気が合ったというか、おおば先生は優しいから気を遣って結構なついてくれた感じですね。こんなおじさんにありがたいです。
 
吉もと:おおば先生は僕と歳が変わらないので、たぶん樫本先生の作品が直撃世代だったと思います。だからこそ、憧れがあったんですよ。
 
樫本:ほかにも、やぶのてんや先生(代表作『イナズマイレブン』など)も仲良くしていますね。それこそ昔なら、先程言った徳田先生や青木先生ですが、徳田先生は亡くなられて……。
 
吉もと:だからこそ健康には気を付けたいですね。いつぞや、ツイッターで樫本先生が健康診断に行ったというツイートを見て、さすがだなと思いました。僕は40代になったので、去年は大腸検査と胃カメラをやったんですよ。すごい辛かったです。こんなの毎年やりたくないと。なんか検査するときに下剤を飲むやつで、謎の不味い液体を2リットルくらい飲まされて。そして強制的に下痢をさせられるという地獄みたいなの。お尻の穴がめちゃくちゃ痛くなってくるし……。
 
樫本:はっはっは。この話、絶対載せてくださいよ。
 
吉もと:ダメダメ、絶対ダメですよ! だって新人時代の思い出と全然関係ないじゃないですか!(笑)。ただの直腸検査の話ですよ!
(※載せちゃいました)
 
樫本:新人、ベテラン関係なく健康は大切ということで。
 
吉もと:ああ、なるほど……。でも、検査してよかったです。
 

 
――新人時代にこれはやっておくべきというアドバイスはありますか?
樫本:う~ん、ただただ僕も必死だったからなぁ。あ、アドバイスとはちょっと違うかもしれないけど、売れてなかった時期は、僕のなかでまんがに対してそこまで本気じゃなかったんだろうなと思います。
 
吉もと:あ……、それは分かります。
 
樫本:ああ、人気出なかったんだ。しょうがないよね、という軽い感じ。
 
吉もと:ああああ! 僕もそうだった気がします、はい。
 
樫本:読み切り作品を何回も描かせて頂いていたけど、全部ダメで。それを繰り返すうちに「人気なくても仕方ないよね……」という、半ば諦めた感じになっていったんです。そんななかで、たくさんのファンの子どもたちが集まった徳田ザウルス先生のサイン会を目の当たりにして、自分が変わりました。この仕事についた以上、売れなきゃダメだと真剣に思ったんですよ。
 
吉もと:初めてコミックスが出たときに、ようやく「あっ、プロとして生きていけるのは、コミックスの稼ぎがあってこそだ」ということに気付いたんですよね。シビアな世界だなって。
 
樫本:シビアだよねぇ。
 
吉もと:少し格好つけた話になりますが、『ゴクオーくん』がまさに連載コンペを通る前に東日本大震災が起きたんですよ。そのとき、自分の無力さを痛感しました。例えば僕が樫本先生だったら、被災地が落ち着いた頃に自分のコミックスを送ったり、サイン会に行ったら喜んで貰える。その一方で、当時の僕には何もなかった。被災地に僕が行ったところで「誰だお前」だし、代表作もない。なんなんだ僕は、という気持ちになったんです。だから、悔しいというより情けなくって。
 
樫本:その気持ち、分かります。
 
吉もと:当時、ちょっと肩書きに甘えているところがあったかも知れません。賞も取ったし、アシスタントでそこそこ食いつないでいるから「僕はまんが家だ」と。でも、それは間違いだった。このままではいけないなと思いました。
 
樫本:なるほど。いい話ですね。そのあと『ゴクオーくん』が軌道に乗ると。
 
吉もと:そうですね。運が良かったです。
 
樫本:その話、コロコロアニキでのむらしんぼさんに描いてもらいましょう!
 
吉もと:いやいや。なんだかしんぼ先生だと、健康診断のほうを描きそうな気がします(笑)。
 
 
――少しテクニカルな話になりますが、まんがの勉強、練習法について教えてください。新人時代、他作品の模写はされていましたか?
樫本:僕はそれはしていなかったなぁ。
 
吉もと:えっ、すごい! 新人はとにかく模写して練習するものだと思っていました。模写とは違いますが、僕は恥ずかしながら高校生までパクリまんがを描いていたんです。いや、オマージュ? 例えば『キン肉マン』が好きだったので、『プロレスマン』というのを描いていたりとか。
 
樫本:やったやった。僕は『ケツ肛門』(元:水戸黄門)を描いていました(笑)。
 
吉もと:読みてぇ!
 
樫本:『マッハゴムゴムゴム』(元:マッハGoGoGo)とか、そんなのばっかり。
 
吉もと:見たい、見たい(笑)。僕は『ジュニアハイスクール果汁組』(元:ハイスクール!奇面組)とかも描いていましたね。
 
樫本:自分が楽しんで、作品を描き上げることが大切ですよね。あと、絵に関してアドバイスするなら、いろんな人を観察していろんなタイプのキャラや表情が描けるように練習したほうがいい。かっこいい主人公は描けてるけど、おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、赤ちゃん、大きい人、小柄の人、ごつい顔、細身の顔……そんな描き分けができてない応募作が多いので。
 
吉もと:たしかに、描き分けは重要ですね。
 
樫本:既存のまんがを参考に模写するのも、もちろんアリだけど、実際の人をスケッチやデッサンするとさらに血の通ったキャラ作りに役立つかと。そのとき、自分なりのデフォルメや漫画のキャラとしての昇華を意識するのを忘れないことが重要だね。
 

 

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