【京極夏彦×松本しげのぶ】水木しげる先生のまんがの技法と「妖怪」とは何か?【鬼太郎対談完全版第3回】

—松本先生はこれから出したい、または好きな妖怪はありますか?
 
松本:
好きな妖怪は「頬なで」が好きですね。水木しげる先生の『続・妖怪辞典』を小学校の頃に買って、そこに載ってました。
 
京極:
女の子が無駄に可愛い絵ですね(笑)
 
松本:
そのススキの穂の手に感じる、日本人の感覚にビシィッときましたね。
 
京極:
ビシィッ(笑)。ススキの野原を夜中に歩いたことなんてないんだけど、「歩いたらこんな感じなのかな」と思えちゃう。そういう感覚なんですよ。
 
—ちなみに、京極先生の好きな妖怪はありますか?
 
京極:
僕ね、好き嫌いがないんですよ。あらゆるものに、食い物でもなんでも。お化けも好きなんでしょうけど、その中で何が好きって聞かれると困るんです。昔から聞かれますが。
 
松本:
京極先生は聞かれるでしょうね。
 
京極:
水木さんがご存命の頃は「好きな妖怪は水木さんです」と答えてたんですけど(笑)
 
松本:
なるほど(笑)
 

 
京極:
「好きな妖怪は?」となった時の妖怪って、キャラなんですよね。でもキャラの周りには言い伝えをはじめ、いろんなものごとがある。日本の文化が背景にある。そうしたものとつながっている、そこが大事なんだと思うんです。
 
子ども達にウケるように自由に創作されたキャラのはずなのに、どこかで昔や、文化とつなかっている。そういうところが、ただのキャラとは違う、大事なところなんだと思うんです。
 
松本:
そうですね。
 
京極:
水木さんはそういう戦略が抜群にうまいんです。
 
今期のアニメが始まったとき、前のアニメを観ていた人はみんな「懐かしい」と思ったでしょう。その前も、その前も、その前もそうだったんです。初めて雑誌に載ったときは、貸本を読んでいた人達が懐かしがったし、貸本は紙芝居を観ていた子ども達が懐かしがった。紙芝居も同じです。その前のどこかにつながっている。
 
みんな「鬼太郎」を懐かしいっていうんです。
 
観たり読んだりすればわかるんですが、昔からつながっている懐かしいものを、毎回毎回その時点で一番新しいスタイルでプレゼンしているんですね。だから、懐かしいけど古くならない。
 
松本:
なんか怖いです。すごすぎて。
 
京極:
松本さんも「今っぽく」描いていいんだと思います。もちろん、のびあがりやおとろしが出てくると、そこから水木先生が描いた「鬼太郎」につながっていくし、もしまったく新しい創作妖怪が出て来たとしても、鬼太郎と戦ってくれる分にはちゃんと妖怪になると思います。
 
技法というより、水木スピリッツが盛られていれば、器のアレンジはあんまり関係ない。
 
やっぱり、妖怪でなくちゃいけない「理由」が作者に強くあるか、ないかなんでしょうね。強くある場合は、必ず過去や文化に接続しているし、水木さんともつながっている。
 
松本:
これは描くときに心に止めておかないと…。描くうえで大事にしていかないといけないですね。
 

 
京極:
妖怪はキャラクターなんですけど、実はそれってアイコンで、クリックするとたくさんの情報が出て来るんですね。その周辺情報こそが妖怪の本体です。
 
僕達をとりまく文化、過去の事象、暮らし、恐さや笑いなどの感情、そうした諸々があって、その上に妖怪というアイコンがのってるんですね。
 
今、そのアイコンがかわいいとかカッコいいとか、そこで止まっちゃってる気もします。アイコンの出来・不出来より、そこをクリックしたときに何が出て来るのかのほうが面白いですよ。
そこ、割と忘れられがちです。
 
松本:
確かに。そうかもしれませんね。
 
京極:
お化けが好きな人は結果的にアイコンを入り口にして情報をたぐりはじめるんですけど、裏に隠れている情報は膨大で、調べても調べてもきりがない。
 
僕の書斎にある本は、妖怪の周辺をぐるぐる回っているうちに集まっちゃったものです。それぞれ仕分けしてアイコンをつければ、妖怪辞典みたいなものになるんでしょう。
それでいいなら、水木さんの妖怪辞典が一冊あれば事足ります。
 
松本:
なるほど。
 
京極:
まんがで活躍する妖怪はアイコンです。子どもはそこから奥に入って行くんですよ。
妖怪は豊かな文化や歴史、人の営みへの入り口になってくれる。
 
松本:
そうですね。確かに。
 
京極:
どんなに面白くても「わざわざお化けじゃなくても成立する」作品ってあるんですね。作品としては面白いわけだからいいんですけど、それだとストーリーの方に注目しちゃって、妖怪に興味が向きません。
 
もちろんそれでもいいとも思うんですけど、やっぱり妖怪を中心にしたお話だと子ども達がそれを読んで「どんな妖怪、どんなお化けだろう」と思ってくれるでしょう。それだけで、僕は嬉しいですね。
そういうきっかけになるじゃないですか、鬼太郎って。
 
松本:
いやぁ、今の話を聞いて色々描きたいテーマが増えました。
 
京極:
江戸時代のお化けは、統廃合が盛んで、数自体は減っていったんですね。
今は妖怪の拡散期が続いています。昭和40年以降に水木先生を中心にしたビックバンが起きて、それ以降妖怪はどんどん増えている。
 
松本版鬼太郎にもおどろおどろが出て来ましたよね?
 
松本:
はい。
 

 
京極:
おどろおどろは水木まんがでは人間が毛生え薬の研究中に失敗して変身しちゃった吸血妖怪ですが、図鑑にはおとろしという名前で載っています。これは同じものだと、みんな思っています。アイコンが一緒だからです。
 
図鑑のおとろしは大体、神社で悪さをすると鳥居から落ちてくると説明されています。でも、そんな話はどこにも伝わっていないんです。
 
松本:
そう言う伝承があるんじゃないんですか?
 
京極:
少なくとも現状確認はできていません。水木さんも参考にしている鳥山石燕(お化けの絵を描いた江戸時代の絵師)も、そんなことは書いてないですよ。というか、まず伝承がないんです。絵巻に描かれているだけ。これも、絵と名前だけです。
 
で、絵巻だとおとろしの「し」という文字が「く」に見える。縦書きだと「く」はくり返しの文字と区別しにくい。おどろ「く」で、おどろおどろ。「おどろ」というのは、草が乱れ繁っているところのことで、転じてボッサボサの髪の毛のことをいいます。おどろ髪ですね。これがくり返されてるわけだから、絵巻によっては「毛一杯」なんて名前になっていたりもする。
 
どっちが本来なのかは断定できませんが、元々毛だらけのお化けだった「おどろおどろ」の、くり返しを「し」と読んで、「おとろし」に読み替えたのかもしれない。だから、石燕の描くおとろしというのは名前の通り単に「恐ろしい」ものって意味なのかもしれません。おどろおどろしいの「おどろし」ですね。
 
ただ、それを鳥居の上に乗せちゃったもんだから、悪いことすると落ちてくるみたいな教訓的な説明が想像されたんでしょうね。
 
松本:
そこから二つの名前ができちゃった、と。
 
京極:
そうなんです。まあ、いずれはシャレみたいなものですよ。
 
水木さんは、まんがでは毛のほうを採用した。図鑑では石燕の絵を見て後の人が想像した落ちてくる説明を採用した。名前も使い分けてますしね。毛のほうが元なんだとすると、先祖返りしたことになります。不思議ですよね。
 
松本:
狙ってやっていたんですかね?
 
京極:
そこはわかりませんね。僕は、直観みたいなものだと思いますけど。水木さんはそういう感覚が優れた人でしたから、「おとろし」と「おどろおどろ」というアイコンから何かを感じ取られたんじゃないでしょうか。
 
いや、まったく感じ取れなくても妖怪キャラはそうした諸々を背負っているわけで。
 
松本:
へぇ、面白いですね。
 
京極:
そういうことがあるから、お化けは面白いんですよ。
好きで、真面目に向き合うと、どんどん面白くなっていく。
 
松本:
僕はこういう研究して生活したいですよ。
 
京極:
いやいや、でもね、「生きたお化け」は、優れたフィクションの中にこそいるんですよ。そうした作品が読まれないと、現実でもお化けが生きてこないんです。死んだお化けも、生き返るんですよ、物語があれば。
 
そういう物語が生み出されて、それを子ども達が読んで面白く感じる、その面白いという気持ちこそが、妖怪にとって最大の糧です。大勢が面白がってくれないとお化けでも死んじゃう。
 
単に過去を研究するだけではダメなんですよ、お化けの場合。松本さんのようなクリエイターがどんどんそういう作品を発表して、学者も負けずに研究して、その研究成果をクリエイターが反映して、そういうキャッチボールがお化けを生かし、それが文化になるんじゃないでしょうか。
 
—松本先生は膨張されている一人になったんですね。
 
京極:
松本さんには後世に鬼太郎を伝えるためにも、頑張っていただきたい。
責任は大きいですよ(笑)
 
だって小説家の僕にはできないことですから。
僕はお化けの小説を書いていると思われているんですけど、作中には妖怪は出てこません。僕の小説は周辺の情報をまんべんなく拾い上げて、真ん中のアイコンを感じてもらおうという試みですね。まんがのアプローチとは正反対。まんがはズバリ真ん中が描けるから羨ましいですよ。
 
—絵本とかをやられているのは、そういうのもあってのことなのですか?
 
京極:
妖怪絵本というものも描いていますけど、結局、ほとんど妖怪は出てこないですね。でもまんがなら出せるんですよ。水木さんはよく「お化けがね、次は俺を出せ。次は俺を出せとノックしてきてしょうがないんだ」と言ってました。今は松本さんの周りにも妖怪が集まって、「次は俺だ、次は俺だ」と言ってんじゃないですか?
 
—これは今後の松本版鬼太郎にかかる期待が大きいですね。
 
京極:
ドラちゃんに負けるななんていうと怒られちゃいますけど、コロコロの看板キャラのひとつにはなってほしいな。現状、鬼太郎は他の人には描けないから。
 
松本:
僕もずっと描きたいです。
 
京極:
松本さんのまんがを読んで、面白いな、かっこいいな、鬼太郎って素敵だなと思われた方は、そこを入り口にして水木先生の作品も読んでいただけると、僕はより一層嬉しいですね。
 

 

京極夏彦
1994年「姑獲鳥の夏」でデビュー。「百鬼夜行シリーズ」は累計1000万部を超える。世界妖怪協会、全日本妖怪推進委員会改めお化け友の会・代表代行。お化け大學校・水木しげる学部教授

 

松本しげのぶ
1990年に小学館新人コミック大賞児童部門佳作を受賞しデビュー。月刊コロコロで「デュエル・マスターズ」、別冊コロコロで「ゲゲゲの鬼太郎」を連載中。