ゾイド生みの親徳山氏5656万字!?限界ロングインタビュー 第5回

初代『ゾイド』開発秘話編第1弾!

博物館と動物園の近くで育った徳山さんに、入社1年目で運命の出会いが!

 初代『ゾイド』を手掛けたレジェンド、徳山光俊さんを直撃するこの企画。前回までは『ゾイドワイルド』に関する秘話をうかがった。

 徳山さんがあまりに気さくすぎて貴重な話の連発だったが、通算第5回となる今回からは初代『ゾイド』の開発秘話編に突入! いったい、どんなエピソードが飛び出すのやら!? Don’t miss it!!

──では、ここからは初代『ゾイド』の頃のお話をうかがいたいと思います。徳山さん、あらためてよろしくお願いします。

徳山光俊(以下、徳山) はいはい、ご用意してきましたよ(笑)。

──ありがとうございます! まず徳山さんはどういう子供時代を過ごしてきたのですか?

徳山 僕はね、生まれも育ちも上野公園の近くなんですよ。国立科学博物館(※1)、上野動物園(※2)のすごい近くで、夜なんかはアシカの声とか聞こえてくるんです。子供の頃から動物園で育ったようなもんだし、国立科学博物館も遊び場のようなもんだったんだから、恐竜も動物も大好きだったんです。今と違って、僕が子供の頃は国立科学博物館に行くと地下のところが全部骨のコーナーになっていたんですよね。骨が巨大なガラスケースにずらーっと入れられていて、ちょっと気持ち悪いくらい(笑)。
 すごい怖かったんだけど、逆にそれが想像力を高めるというかな。恐竜図鑑も大好きで、何時代何時代って、ジオラマみたいな絵があるじゃないですか。あれはほんと好きでしたね。昔はディスカバリーチャンネル(※3)とか、CGの恐竜動画であるとかってあんまりなかったですから。僕が『ゾイド』をやりはじめる頃か、トミーに入る頃だったかな、その頃にやっと恐竜博みたいなのが若干開かれはじめたくらいだったと思います。


▲徳山さんの庭とも言うべき上野公園、正式名称「上野恩賜公園」。広大な敷地内に動物園、美術館、博物館がずらり。ご覧の通り多くの木々が生い茂る名所で外国人観光客も多く訪れる。

──ああ、国立科学博物館で「ソ連科学アカデミー 大恐竜展」(※4)とかやってましたね。最近は、大きな会場で恐竜博をやるのが夏の定番ですけど、当時はあそこでやっとたくさんの恐竜の骨を見られた記憶がありますね。

徳山 そうなんですよね。あと一方で、雑誌でいえば『ムー』系の不思議なものとか、ミリタリーとか、メカとかも好きでね。僕自身はずっとオートバイが好きで、今も乗ってるんです。乗り物に乗って運転するのはほんと好きだった。

──趣味が全部『ゾイド』に直結しているイメージですね(笑)。
徳山 今思えばそうかもしれませんねぇ。あと見るだけじゃなくって、絵を描くのも好きだったんです。恐竜、メカ、乗り物、ミリタリー系。とくに飛行機は大好きで、コックピットもよく描いてましたね。
 絵を描くことについては完全に独学で、学生時代もずっと好きだったんですけど……ただ学校は国文学科なんですね。とにかく好きで描いていただけだったんで。絵は「別にこれ勉強してやるもんじゃねえな」って思っていたものだから(笑)。国文学科に入ったことは、それはそれでストーリーを考えるのには多少役に立ったのかな(笑)。

──なるほど(笑)。ちなみに何の研究をされてたんですか?

徳山 俳句、松尾芭蕉です(笑)。昔の『ゾイド』は僕がネーミングしたものが多かったんですけど、一種のキャッチフレーズと考えれば、まぁそれには役に立ったのかな(笑)。今の『ゾイド』は、ほとんど若い人たち中心に決めてますけど。


▲なんとゾイドのネーミングは、松尾芭蕉をたしなんだ言語感覚によるもの!? 言われてみれば「夏草や兵どもが夢の跡」など、コロツアー後の心境にぴったりかも。

※1 国立科学博物館:上野公園内にある、自然史・科学技術史に関する国内唯一の総合科学博物館。現在の地球館の地下1階では、恐竜の常設展示がある。創立は1877年。
※2 上野動物園:正式名称は恩賜上野動物園。上野公園内にある動物園で、開園は1882年。500種あまりの動物を飼育している。
※3 ディスカバリーチャンネル:自然や動物、科学、歴史、乗り物などのドキュメンタリー番組に特化したアメリカの衛星テレビおよびケーブルテレビチャンネル。
※4 ソ連科学アカデミーコレクション 失われた生物たち 大恐竜展:1978年に大阪エキスポランド、1979年に国立科学博物館で開催。タルボサウルスやサウロロフスなどが展示され、当時は恐竜展にあわせて特集を組まれた雑誌も多かった。

 

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