【#コロコロ500号】42年の歴史を詰め込んだ『コロコロ500号記念大年表』公開 第5弾!!(1997年〜2001年)

1998年(平成10年)第237号~第248号

■1998年のトピック:
これまで関東エリアのみでの開催であった次世代ワールドホビーフェアが1997年12月から冬期の全国ドームツアーを開始!関東の幕張メッセに加えて福岡、大阪、名古屋(一時期は札幌でも開催)といった国内主要都市をめぐるドームツアーの開催でコロコロの人気ホビーやあこがれのマンガ家の先生やキャラクターが多くのコロコロファンと触れ合える機会がグッと増えることになりました。また、誌面ではポケモン関連が映画「ミュウツーの逆襲」公開の盛り上がりも有りでボリュームアップ!その他のホビーも相乗効果で盛り上がり、活気に満ちた1年でした。

▲1998年7月号表紙

■主な人気マンガ:
1月号~ 「爆走兄弟レッツ&ゴー!!MAX」こしたてつひろ
2月号~ 「白ボンのBビーダマン爆外伝」三鷹公一(読切)
3月号~ 「ヨシモトムチッ子物語」樫本学ヴ
4月号~ 「ZQ ジーク」かとうひろし、「F-1タイガー伝説 高木虎之介」青木たかお
5月号~ 「ぼく!ミニドラえもん」萩原伸一/藤子・F・不二雄
6月号~ 「JIM村田のルアーでフィッシュ」おぎのひとし/村田基、「炎の守護神 川口能活物語」かとうひろし/原田太郎
7月号~ 「プォケットハミリー」ピョコタン、「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」おのとしひろ(読切)
8月号~ 「チョコボのふしぎものがたり」かとうひろし、「かなり桃たろう」玉井たけし、「どすこい!サイぼん」のむらしんぼ、「うちゅう人 田中太郎」ながとしやすなり
10月号~ 「大長編ドラえもん のび太の宇宙漂流記」萩原伸一/藤子・F・不二雄
11月号~ 「映画原作スモール・ソルジャーズ」上山道郎
 
WGP編が終了し、新主人公の豪樹と烈矢による新展開に伴い再スタートした「爆走兄弟レッツ&ゴー!!MAX」を皮切りに、オリジナル要素も魅力の映画コミカライズ読切「場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」(おのとしひろ)などが注目作。また、「ぼく!ミニドラえもん」(萩原伸一/藤子・F・不二雄)、「JIM村田のルアーでフィッシュ」(おぎのひとし)など人気マンガの派生作品やF-1、Jリーグのスポーツ関連の短期連載などを配置する「王道人気作+α」体制で読者の興味の幅を広く受け止める誌面づくりが印象的。
 
お笑いタレントとのコラボ「ヨシモトムチッ子物語」やカルト連載「スチャダラ通信」の常連投稿者から晴れて本誌デビューを果たしたピョコタン先生の「プォケットハミリー」、独自の世界が人気を呼び読切から急遽連載決定となった「うちゅう人 田中太郎」(ながとしやすなり)など新進ギャグ作品も気を吐くなか、これまで多彩な作風で活躍してきたかとうひろし先生の「チョコボのふしぎものがたり」もスタート、優しいタッチながらも確かな構成で描かれた冒険ストーリーは3年に渡り連載される人気作となりました。

▲「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」こしたてつひろ先生
▲「ヨシモトムチッ子物語」樫本学ヴ先生
▲「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」おのとしひろ先生
▲「チョコボのふしぎものがたり」かとうひろし先生

■主なホビー:「ポケモンカードゲーム」、「ハイパーヨーヨー」
ゲームボーイ用ソフト「ポケットモンスター」を題材にした初の国産TCG(トレーディングカードゲーム)として1996年10月に発売された「ポケモンカードゲーム」。ポケモン関連商品の中でも非常に高い人気を獲得し、国内のTCG人口増加のきっかけになった商品と言えるでしょう。コロコロでも特集記事やオリジナルの付録カードが企画され、中にはポケモン映画に声優として出演したダウンタウン浜田雅功の自筆イラストを採用した「ハマちゃんのヤドキング」なる珍品も。
 
カードをはじめポケモンコンテンツ周りのプロモーションでコロコロ誌面や「おはスタ」にもたびたび登場した謎のキャラクター「イマクニ?」のインパクトも忘れられない読者が多いのでは?また、同時期にはポケモン関連ホビーがたくさん各社から展開され、サイコロ系玩具の「プラコロ」や食玩ミニソフビの「ポケモンキッズ」、菓子パンのおまけ「ポケモンデコキャラシール」なども人気でした。
 
また、1997年~1998年はストリートの息吹を感じさせるバンダイの競技用ヨーヨー「ハイパーヨーヨー」も一時は店頭で売り切れが相次ぐほどの大人気でした。日本を代表するプロスピナー(スピナー=ヨーヨー競技者)の中村名人こと中村謙一を筆頭にアレックス・ガルシアなどの人気スピナーがコロコロや「おはスタ」にも登場し、華麗なトリック(技)を披露して子供たちの熱い注目を集め、ハイパーヨーヨーを題材にしたマンガ「超速スピナー」も「おはスタ」内でアニメ放送が開始されるなどメディアミックスでも大いに存在感を示しました。

▲ポケモンカード記事にイマクニ?登場
▲中村名人のハイパーヨーヨー記事

■1998年の世の中
長野冬季オリンピック開催
第16回サッカーワールドカップ・フランス大会に日本代表が初出場
映画「タイタニック」が配給収入160億円の記録的大ヒット
Apple社よりiMac発売、Microsoft社よりOS、Windows 98発売
清涼飲料「なっちゃん」(サントリーフーズ)ヒット
流行語:「だっちゅーの」(お笑いコンビ、パイレーツのギャグ)、「キレる」、「ハマの大魔神」(横浜ベイスターズ佐々木投手の異名)
 
■コロコロトリビア: コロコロチルドレンの作家たち
1977年に創刊されたコロコロコミック、子供時代に読者だった世代が1990年代には続々コロコロ誌上で活躍を見せるようになります。
 
まずその筆頭は樫本学ヴ先生、14歳でコロコロ内のマンガ教室コーナー「藤子不二雄のまんが入門」に投稿作が掲載。15歳で藤子不二雄賞の最終選考まで残り、1986年に19歳で「G筆(ペン)まん吉」で藤子賞佳作受賞、翌1987年にはコロコロ本誌でデビューを飾り、以降は「江戸っ子ボーイ がってん太助」、「やったね!ラモズくん」、「学級王ヤマザキ」、「コロッケ!」、「ぼくはガリレオ」などなどコロコロを代表する作家の一人として活躍、現在はコロコロアニキにて「コロッケ!BLACK LABEL」を連載中。
 
「うちゅう人 田中太郎」、「ゾゾゾ ゾンビーくん」のながとしやすなり先生も初期コロコロの熱心な読者。表紙の「売り切れ注意!」の文字を見て「早く買わなきゃ!!」と慌てて書店でコロコロを買っていたとか。
コロコロ本誌「プォケットハミリー」、コロコロイチバン!「おはスタ少年」などを手掛けたピョコタン先生はスチャダラパーによる連載「スチャダラ通信」の採用数最多記録を持つ常連投稿者出身。実はコロコロを読み始めたのはスチャダラパー目当てで中学3年生の頃からというレアケース。
 
他にもコロコロをきっかけにマンガ家を目指した作家さんはまだまだたくさん!きっと今の読者からもコロコロ未来を背負う作家さんがでてくるんでしょうね!!

▲「うちゅう人 田中太郎」ながとしやすなり先生
▲「プォケットハミリー」ピョコタン先生